仙台市に本社を構える歴史ある新聞社で、1897年(明治30)に創刊。東北地方を中心に地域密着型のニュースや情報を提供している。ベガルタ仙台においては、試合の速報や選手のインタビュー、クラブの最新情報をいち早く伝え、オンライン特設ページ「ベガオン」では限定動画も公開中。またスポンサーとして、地域密着イベントの開催やキャンペーンを通じて、多岐に渡る支援を行っている。
1996年に入社し、ベガルタ仙台と関わるようになったのは2003年の最終戦からです。大分ドームで降格した試合、あれが一番最初にスポーツ取材をした日でした。それから2004年・2005年シーズン、ベルデニック監督と都並監督の時代ですが、キャンプからシーズン終了まで1年間ずっとチームに張り付いてる番記者をやっていました。そのあとはちょっと時間があいて、2013年シーズンに取材班のキャップとして担当していました。
そうですね。100%信頼して、応援してスポンサーであるわけですけど、記事では勝っても負けても時には厳しいことを書かなきゃいけない。ましてや、いまの担当はすごい厳しい記者がついているんでね(笑)記者をやっていて「スポンサーだから」なんて普通思わないし、近すぎてもダメだし、私も担当時代はある程度の距離感を保つことが大切だと思ってやっていました。だから今回のスポンサーインタビューの企画はちょっとおもしろいなって(笑)
2022年からはデジタルのほうに移り、2023年に「ベガオン」というサイトを立ち上げました。いま少しずつ改良しているところですが、デジタル担当のデスクとして出てきた原稿をチェックしたり、サイトへのアップ作業を行ったりしていますね。
2024年からは囲み取材にカメラマンを派遣して、動画を撮りながら全文を起こし、取材があった日の夕方、もしくは翌日にアップしています。やはりオンラインなのでスピード勝負。できるだけ早く、いろんな人に見てもらえるようにと思っています。スピード感はテレビより速いかもしれませんね。
ぜひ読んでいただきたい記事があります。ちょうどデジタルをはじめるときに、2004年の番記者時代の思い出話を「ベガルタJ2戦記」というタイトルで連載したんです。デジタルなんで、(紙よりも)長めの文章を書けますからね。全10回の連載だったんですけど、その1年を振り返ると、なんだかあまり強くなかったし…いろんなことがあったし…。山あり谷ありのシーズンでした。20年前の話ではあるんですが、そのときの思い出話を当時のサポーターだったらたぶん、おもしろく読んでいただけるんじゃないでしょうか。
<連載はこちら>
その当時のベルデニック監督は、スロベニア出身の非常に学者肌で、元々大学教授だったという人なんですが、普段はスロベニア語の通訳を介してだったのでコミュニケーションもなかなか…。チームも弱かったんですよね、ちょっとつらい時期だったんです。最初は取材拒否とか、「喋りたくない」とかもあったんですけど、そのなかでもいろいろ距離を縮める努力をしながら。
でも10月くらい、ほぼ解任は決まりかけていたような時期に、突然「ちょっと話そうか」となって。もうシーズンは終盤で、低迷していたので取材者も少なかったんですが、監督と通訳とそこにいた3~4人の取材者だけで囲み取材がはじまりました。3時間くらいでしたかね、なんでこのように低迷しているのか、チームの問題、あとは日欧の文化論みたいな話にまで展開して…。すごくおもしろかったですよ。20何年記者やってますけど、なかなかこういうシーンはないなと。ただ、これには実はオチがあって。記事に書いているので、ぜひ読んでいただければと(笑)
<記事はこちら>
ベガルタは2013年にACL(AFCチャンピオンズリーグ)でアジアで戦いました。韓国のFCソウル、中国の江蘇舜天、タイのブリーラム・ユナイテッド。私は若いカメラマンと2人でブリーラムに行くことになって、空港から400kmくらいの距離を、レンタカー借りてドライブしながら現地に行きました。その試合が非常に劇的で、0-1で負けていて、このままだと予選敗退だったんですが、ロスタイムに同点に追いついたんです。試合が終わる20時半って、時差の関係で日本だと22時半。つまり河北新報の早版の締切なんですよ。それであらかじめ予定稿といって、「負けた」という内容で書いて送ろうとしたら、同点になって。ホイッスルが鳴って、階段を駆け下りながら原稿を書き直した記憶がありますね。
このとき同点弾を決めた中原選手は、2003年に大型ストライカーとして入団したけども、ルーキーイヤーは怪我して苦労したんですよね。私が最初のキャンプ取材に行った時も、ずっとリハビリしているような状態で…、そのリハビリについて記事に書いたりしていたんですけど。それでやっと試合に出れるようになったアウェイの福岡戦で、0-2で負けていたところ途中出場した中原選手が2点決めて追いついて、その後逆転勝ちしたんです。非常に思い入れを持って取材してきた選手だったんで、その9年後、ACLのブリーラム戦でロスタイムに同点弾を決めたときには、記者席で絶叫しましたね。中原選手は劇的なゴールが多かった、この2つは忘れられないです。
<中原選手の記事はこちら>
反撃弾に同点弾 中原の投入ズバリ的中 ベガルタ逆転で福岡下す
イギリスのフットボールファンがよく言うことなんですが、「家も、車も、妻でさえも変えられる。しかし、好きなチームだけは変えられない」と。これは真実だなと思うんですよね。これまで30年一緒に歩んできたサポーターがいて、そしてこれからも30年40年死ぬまで歩んでいくサポーターがいる。勝っても負けてもいいと思うんです。勝ってうれしい、負けてくやしい、っていうのがスポーツなので。これからも試合ごとにサポーターの心を動かすような瞬間を届けてくれる存在であり続けてほしいと思います。
創刊:1897年
所在地:宮城県仙台市青葉区五橋1-2-28
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